長野のときから一緒に暮らしてきた我が家の住人、ハムスターの「つっきー」。
今朝、土に埋めました。ひんやりした濃いこげ茶の土の感触が気持ちよさそうでした。
「私があのとき気づいていれば、もうちょっと長く生きれたんじゃないか」
「私がああしていれば、もっと気持ちよく最後を迎えられたんじゃないか」
亡骸を見つけたときは、どうしようもなく自分を責め、わんわん泣いてしまいましたが、もう、罪悪感に生きることはやめますね。
これが、「寿命」。
寿の命と書くだけあり、どんなに短い一生だったとしても、
2年4ヶ月、彼女はねずみとして精一杯やりきったんだと。
死ぬことは、「失敗」でも、「罠にはまった」ことでもなく、
やりきったから、仕事がおわったから、タイミングが来たということ・・・
「つっきー、愛玩用ペットとして、私たちを多いに癒してくれてありがとう。あなたから大切なことをいくつも私は学ばせてもらいました。いい仕事しましたよ。さぁ、土をかけるね。今度はあなたの体がこの土の栄養分になり、このつつじの花を美しく咲かせていくよ」
彼女と同様、大いなる宇宙から見ると、わたしたちの一生もとるにたらないものだけど、その間、この命燃やし尽くしたいなぁと。
「人生は短いよ。やりたくないことをしている程の時間はないからね。オールマイティーにやろうとすることはやめて、本当にやりたいことだけに特化して生きていってね」
死してなお、あの小さい手で私をやさしく押してくれる「つっきー」。
自分が去ることで、自分の世話から私を解き放ち、向かうべき世界を見せてくれました。
人々が自分のやりたいことだけをしていったとき、世界中が、すさまじいエネルギーに満ち溢れます。
会う人逢う人、目をキラキラさせながら、自分の仕事をしている世界・・・
そんな美しい世界を「娘が生きる世界」に残せたらと。
それには、まず、私がやりたいことだけをしていくひとりに加わらなくちゃ、ね!
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