茶色い星の可能性

玄関先を彩って・・・
玄関先を彩って・・・

今年は咲かないとあきらめていた「シクラメン」に、小さな茶色のつぼみがたくさんついているのを発見したのは、あの地震で唯一倒れたベランダの棚を片付けているとき。思わず「わぁ~」とため息のような声が出たのを覚えています。

 

 

少しでも朝日が当たるようにと、玄関先に引越ししたその鉢には、今、輝くようなピンクの花が咲いています。

 

 

 

わたしは・・・見渡す限りの瓦礫の山が広がる光景を、テレビで初めて見たとき、

絶望感や悲しみからではない、愛しさからの涙が湧いてきました。

 

 

それは、ある情景と重なったからだと 思うんです。

 

 

映画「ウォーリー」でのラストシーン。

 

 

汚染され、生物が住めなくなった地球で、たった一本の植物の生育が確認されたとき、

自分たちの故郷の星すら忘れるほど永い間、宇宙を遊泳してきた人類は、

地球に戻ることを決心します。

 

宇宙船内しか知らない彼ら。

生まれて初めて、自分の故郷の星を目にした彼らに、その光景はどう映ったか・・・

 

たしかに、見渡す限りの廃棄物の山、ゴミの星だったけれど、

 

どんな姿であれ、自分たちの故郷であることに変わりなく、

この星が存在していたことがただ嬉しくて・・・

どの人も、何にも代えられない「愛しいもの」を見るまなざしで満ちていました。

 

彼らは間違いなく、その荒廃した茶色の星の現状を透して、

確かな可能性を見ていたに違いありません。

 

彼らはその後、嬉々として復興に身を投じ「茶色の星」を「緑の星」に変えていきます。

 

 

わたしが震災の日に逢った、この「ちいさな茶色のつぼみ」に

何ともいえない可能性を感じ、励まされたように、

 

このたった1本の緑の植物の存在が、彼らの地球での生活を力強く導いていったのです。