今季のチャネリング講座を受けてる方から、素敵な質問をいただきましたよ。
質問: 過去世を知ることができることにより、何か大きな変化がありましたか。メリット、デメリットなどなど・・・
いい機会をいただきました。
いつか扱ってみたい話題でしたので、このタイミングで投げていただいたのはありがたいですね。
過去世をセッションで見ていくことの意義は、「セッションの意図」 で触れていますが・・・・
この考え以外に、わたしの中で、「過去世」 というものに対しての別の見方ももっています。
ちょうど今月の講座(2回目)で 「過去世ワーク」を扱っていきますので、
ここで、あらかじめその「思うこと」のいくつかを綴っていこうとおもいます。
(そうすると、ワークのほうに時間をつかえるようになりますからね♪)
わたしにとって、過去世とは、今、現在の自分の状態のたとえ話。言ってみれば、「今のあなた」 の別名です。
時代劇モノとして見せたほうが、がっつり今の自分が動いている映像をみるよりも、
一歩離れて、自分の今置かれている物語を観察できるだろう・・・・という、手法を無意識に期待してのことなんだとおもっています。
視えてくる映像を描写していく中で、登場人物の服装が古めかしかったら、過去かな?と判断しますし、
背景で視えてくる建物が 時代を物語ってくれていることも多いのですが、
過去世か、現世か、来世か?は、セッション中あまり区別することに意識を向けていない・・・というのが正直なところです。
「じゃ、過去世視ていきますね」、と言いつつ、
現在と一緒か、未来の世界の映像がまず視えてくることがありますが、今はあまり混乱はしません。
というのも、1本の映画の中では、結果が見えてきてから、回想シーンと、現在が混ざってくるスタイルも多いからです。
映画やドラマのどこを切り取って観るかは自由。
ポイントは、その観客にとって今、必要なシーンだから出てくるという点だけです。
だから、最初に結論・ゴールの情景(来世)を見せる事も多いんです。
そしてそのあと、どのようにしてここまできたかを見させてくる事があります。
いろんな監督がいますので、どう見せてくるかは、みなさんの纏っている大きな手によるものと思っています。
あたかも、あらすじもキャストも何も知らされていない映画をポンと見せられている感じ・・・なので、
最初のシーンを見せられても、「ん?何何?・・・どこからはじまったの!?」・・・と、
お客さんと二人して首をひねるところからはじまるチャネリング映像も 実は少なくないのです(笑)
いずれにしても、目の前の観客が、記憶しやすいような、印象に残りやすいような見せ方をしてくるのは確か。
わたしも 興味を掻き立てられる分、食らいついて流れを読んでいこうとしますので、
ぐっ・・・この監督やるなぁ・・・と、唸ることもしばしばです(笑)
そして、毎回パターンが違うので、ワクワクしているんですけどね。
過去世について、もうひとつ思っている事は・・・・
今生におけるワンシーンだったかもしれないなぁということです。
忘却の彼方の出来事だとしても、
小学校5年生のある1日の出来事として経験したこと = 過去世の中で一生かけて体験した記憶・・・
と、見ることもできるんじゃないかなぁと。
娘が6歳になったとき、「ママのおなかの中でのことなんだけどね・・・」 と前置きしてから、
「そのときのママからこんなことされたの」って、
あーいうことがイヤだったとか、悲しかったんだ、なんて話をしてくれたことがありました。
それを 「過去世の記憶」 と言うこともできるかもしれませんし、
別の見方をすると・・・それは、彼女が胎児だったとき、
わたしのおなかの中で実際に体感した事かもしれない、ということなんです。
と、いうのも・・・わたしは妊娠中・・・・
FOXTVのような、海外の弁護士、殺人などの裁判モノのかなりえぐいドラマが好きで バンバン見ていたんですね(笑)
出てきたら忙しくて本なんて読めなくなるぞと脅されて、今のうちだ!とばかりに妊婦中、大量に本も摂取していました。
彼女はその中のある家族像を鵜呑みにしてしまったかもしれない・・・という可能性です。
妊娠中は、唯一お互いのカラダが重なっている時期・・・母親と胎児は同化しているので、
わたしがカラダに映したものを、彼女も一緒に体験したことになったかもしれず、
食べ物だけでなく、母親の体に摂取した体感は、もろに胎児の体感となるんだなぁと・・・気づいたりしました。
だからかもしれません・・・
これでもか!というほどヒドイ世界・・・人間のどうしようもないサガ、おろかしさ、罪深さ・・・
人間ドラマを体験している彼女は、わたしのような、おろかしい母親にもすごく寛大というか、理解があるのです (笑)
ある意味、人間というものを見切っているというか、答えなんてないことを知っているというか・・・
たぶん、どんだけヒドイ世界なんだ!と思って覚悟して出てきたんだけど、あれ?意外に平和じゃん・・・みたいな?
ドラック中毒の母でもないし、人身売買もされないしで・・・思っていたほど問題起きてないなぁと・・・・(笑)
そうとうえぐい裁判事例を見てきているのでしょう。
おなかの中で(過去世において)、人間の闇の部分をすでにある程度学んできてしまったのかもしれません(笑)
ついでに、「胎児の記憶と過去世について」・・・もうひとつ。
魚類→両生類→鳥類→爬虫類→哺乳類 ・・・と、やっとねずみのような哺乳類の形の胎児になるまでに、
一個の受精卵が細胞分裂して進化してくるのが、赤ちゃんです。
人類が何億年かけてやっとこさ ここまでくるまでの進化を、9ヶ月ですべて追体験してくるわけです。
たとえ、おなかの中では数週間という短い期間であったとしても、
魚や鳥であった・・・実際そういう時期があったことは確か。だから・・・
何億年も繰り返し「魚」だったときのこと、水中での生が細胞の記憶としてわたしたちの中にあって当然かもしれないし、
飛んでいたときの記憶、空中での体感が思い出されてきても・・・なんら不思議じゃあない。
人間での生など、それに比べるとほんの一瞬で、まだ、何万回しか繰り返していないかもしれないのだけど・・・
そういう、わたしたちの祖先・・・地球上の生物のときの記憶が突如上がってきたとしても、ま、あ、ありだよなぁ・・・と、
胎児の進化の映像をみせられたとき・・・思ったりしました。
「あ・・・今、この子は鳥なんだな。鳥の記憶を通過しているんだなぁ・・・」 と。
そして、人間として産れ出てしまうと・・・自分が鳥だったときのことまでは、ふつう忘れてしまうんだろうな・・・と。
長野の山の中で、山ごと揺するように鳴いていたエゾ蝉・・・
うるさい!という次元ではなく、
毎日毎日数ヶ月もの間、体中の細胞が揺すられ、共鳴したとき・・・その音が消えたような気がしました。
「蝉」のバイブレーションと一体になってしまったのでしょう。
わたしは、そのとき「蝉」となり、自然に蝉の目線からこの世界を、環境を感じていました。
「共鳴」とはこういうことなんだなぁと。
そのとき、わたしは「蝉」だったときの記憶と同時に、
もくもくと「生きる」地球上の生物たる 「権利」 も響いてきたように思うのです。
過去世の記憶と繋がる事は・・・地球の生命に繋がる事。
地球上に生きる物として、地球からサポートされるに値する事を想い出すことを意味します。
人間の過去世は、その一編にすぎません。
でも・・・いちばんドラマティックで、面白そうな生なんだともおもうんです。
ですから今、人間やってるんだと・・・思っているんですけどね(笑)
「過去世」・・・といっても、人間での生の どろどろドラマをやってたところの記憶に停まることなく、
いっそのこと遡りきってしまうと・・・
自分が宇宙とひとつだった・・・「ワンネス」 というところの記憶まで行っちゃうのかもしれませんね。
でも・・・そこまで大きく考えずとも、もっと身近に、「過去世」 を知ることのメリットをあげるとするなら、
やはり、結果的に 「今に生きる」 ・・・ことにフォーカスできる事じゃないかなぁと、わたしはおもいます。
やりきった人生を自分が既にやっちまったことを知ると、
そうかぁ・・・一度やったんだったら、今もできるんだな、と自信がもてるし、
過去、何度もやったんだから、もういいか!と、今回は別のこと、別なやり方にトライしてみようとおもえるようになったり・・・
「過去世」 の使い方はいろいろです。
行動に移せるようになるためにも、「過去世」 を知ることによるメリットは・・・あるように感じています。
デメリットかぁ・・・
何かあるようなきもしますが・・・・今は、ちょっと思いつかないですねぇ・・・。
また、浮かんできましたとき、次の機会に・・・♪
ひょ~!・・・2つに分けて記事にすればよかったですね。とんでもなく長くなりました。
(最後まで読んでいただきまして・・・ほんとうに ありがとうございます!)
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