主が言われます我が愛する子よ
わたしはあなたを愛していますと主が言われます。
そしてほんとうにこう・・・何に対してもほんとにその全力投球というか 一生懸命こころを注いできたあなたをわたしは喜びますよ、と主が言われます。
そしてわたしはあなたが一生懸命やろうとして してしまった失敗さえも愛おしく思っている、と主が言われます。
ですから自分がその・・・マンガじゃないけど 転がったモノを 買い物で転がったモノを拾おうとして なんかバラバラとこぼしちゃったよ、みたいなことがあったとしても
それはほんとに「自分てダメだ」じゃなくって、それはそれでもう・・・「うけねらい」と思う必要はないけども・・・まぁ、これでみんなを笑わせるぐらいに思ってもいいです、と主が言われます。
ですからそれに対して「開き直っていくこと」できるようにしますよ、と主が言われます。
それはあなたの可愛らしいというか、愛嬌、良いところであるからなんです、と主が言われます。
そして、それは普段しっかりしてたりする そういうところがあるあなたがするからこそ、何か、その、何というかな・・・そこが引き立って愛らしいさ、可愛らしさとか、ユーモアになるからなんです。
そして娘よ
わたしはあなたがあの・・・自分がほんとに時としてしっかりしているし、時としてそうではないから・・とか、なんかそうではなくって、
ほんとにあなたが、その周りの人の良い支えになろうとしている、そのまっすぐな心を喜んでいます、と主が言われます。
あなたの動機はまっすぐで純粋ですよ、と主が言われます。
何かそのこう・・・人を助けたいなぁという想い、それがありますと主が言われます。
そして・・・期待するというかな、わたしもこれだけやったからきっとこういう風にしてくれないかなぁっていう期待を良い意味で手放していくことができるようにする、と主が言われます。
それは逆に、してくれなかったときにがっかりしちゃったり、自分はこんだけしているのにこの人してくれないやぁとか 何かこう・・・こころに嫌な思いが残る、だからその、やってあげたことに対して忘れていくときに還ってきたものが「あ、嬉しい」と思えるようになる。
ですから、ほんとにあなたがまず先に与えて、それを忘れた頃に何か来たことが「あ、ありがとう~」ってなんか受け取る・・・その喜びが何倍にも倍増になっていきますと主が言われます。ですから
今ちょっと還ってこないようにみえることがあったとしても なにかこう「チェッ」とか「がっかりだなぁ」って思わないでいいですよ、または「わたしばっかり・・」と思わないでいいですよ、と主が言われます。
そして娘よ
わたしはあなたの人間関係においても あの・・・お城の石垣にこう・・岩があるじゃないですか、大きい岩とか小さい岩とか。
その間をこう・・・セメントで固める そのセメントみたいに、大きなモノとちっちゃなモノがあって、本来だったらちぐはぐで合わないんだけど あなたがその間に入ることによって、それらがちゃんとしっかりと結びついていくような・・・なんかそのような働きの者として用いていきます、と主が言われます。
ですから、デコの人もボコの人も
大きい人もちっちゃい人もいるみたいないろいろな間に入って 時として窮屈だったりするかもしれない、またはバラエティに富んでいるなぁ・・・じゃないけども あるかもしれないけど、その中であなたがうまくバランスを取ってその全体がしっかりとした基礎固めみたいなもの、できるようにしていきますから・・・
だからセメントは形変る、大きい岩と小さい岩の間をぬって 形変ってトロトロトロって溶けて・・・溶けるっていうか柔らかくなっていくから、どんな形が来たとしてもわたしはそれを包み込むことができるよと信じて、前に進んでください、と主が言われます。
そして、娘よ
ちゃんとやろうと思わなくてもよい、と主が言われます。
なにかその例えば、他の・・・自分の年代の他の人のようにとか、またはなんかその、理想のこう~のようにとかっていうの それ求めなくていいです、と主が言われます。
あなたのままでよい、自分のまんまでいいんだというのをほんとに・・・まだ急には無理かもしれないけど、2,3年後には「あぁ、私このまんまでいいんだ」って、「神さまそうに言ってたから」って、いうのをほんっとに実感して、今は言ってもスカスカ・・・言ったことと自分の間がスカスカしているけど、何かそれがほんとに身となって溢れ出るようになる、と主が言われます。
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