「小さな世界」と「大きな世界」
まず小さな世界で(わたしにとっては「家庭」だけど)そこで自己開示できると楽。
誰でも自閉症的なところはあって
突き詰めるところがあって…
わたしにとってはそれが 洋服だったり、インテリアだったりする。
「自分の居心地に対して、徹底的に追求する姿勢」
それが、人にはきちんとしてたり、美しく見えたりするんだろうけど…
決してそんな綺麗ごとじゃなくって
わたしは俗にいう「良妻賢母」からは程遠く…
ただ 自分にとっては正しい生き方に目覚めていただけだったんだと思う。
そこのギャップに今朝ね、気がついた。
でっぱっているところ特出しているところがあるということは、その分、無いところ欠けているところがいっぱいあるということで…
そのでっぱりと全くないところを「小さな世界」の中で、あきらめられて認められると、そこで自己表現ができると…
それにつながっている「大きな世界」でも、その自分で在れるようになる。
「自己表現」ってそんな大げさな社会発信ではなく、まずはそんな小さな世界での発信のことなんじゃないかなぁって思う。
わたしの強さは、わたしの弱いところを守るために培われた知恵で、自分を守るために生きるとそこに「生命力」がほとばしるから、輝いて見える…
体を守る。命を守る。そこが、誰よりも徹底しているから、美しい…
・思いっきり寝る →人のために起きない
・好きなもの食べる →朝:食べない。昼:外食。夜:体が欲するものだけ作って食べる
・肌が喜ぶものを着る →着心地で選ぶ、値札は見ない
主婦なのに…サボってる、とはちっとも思ってない。
わたしは自分を生きるのに忙しい(笑)
わがままに生きるって、自分に正しく生きること。
でも、小さな世界で開示できると、こんなわたしでもちゃんと結婚できる。
それでもいいよといってくれる人(子ども)と巡り会える。
わたしの凸っているところを撫でて、
凹んでいるところに愛を注ぐことを喜んでしてくれる人に出会うことができる。
全ての人に自分を理解してもらう必要もなくってね…
まずはいちばん身近な「半径3mの世界」で、自分ってこんな人間なんだよって表現してみる…それだけで人って じゅうぶん生きていけるものだと思うんだよ。

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