朝一の温泉っていい・・・
人が少ないからかな
自然からの語りかけに耳を澄ませることができる
いろんなことがクリアになっていく
今朝もひとり湯船につかりながら
海に開けた景色をす~っと眺めていたら
温泉の館内に植えられた木々が
視界に入ってきて・・・
なんとなく(世間話的に)
「大変だねぇ~
温泉ってしょっぱいからかかるとつらいでしょう?」
って話しかけたら(←頭の中でね・笑)
『へっちゃらだよ。
だって、消耗していくのがわたしたちだから』
って、穏やかに言うの。
(↑これまたわたしの頭の中でだからね・笑)
「へ? 消耗するって・・・
消耗しちゃっていいものなの?」
って聞くと、
『いいの、いいの。
全てのものはみんな消耗するためにあるから』って。
どうやら・・・全てのもの(特に内側に動力があるもの)は
自分のカラダの中のものを発散して発散して
少しずつ枯れていくらしい・・・
彼らはそのことをよくわかっていて
【枯れるために出す、死ぬために生きる】
と、言い切っていたように思う。
なんかね、【消耗する】ってわたし
悪いことだと勝手に思い込んでいたんだよね。
もちろん
『無理してガ~って出すのとはちがう。でも
自然に自分の中のものが出ていくんならそれでいい。
むしろ、それをみんなしたいんだよ・・・』って。
だから、
『もし暴風雨が来ていつもより温泉かぶったり
子どもにひっかけられたりしても・・・
それでいい。
その分消耗するけど、早く枯れるだけで・・・
枯れて倒れたら
代わりのものがそこに立つだけで・・・
樹齢何百年って
長く立っている木がすごいことではなくって
その環境の中で自然に消耗していって
そこに立つことをただまっとうできれば
それでいい
だからね
わたしたちは天気(周りの環境)次第なんだよ』
・
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・
ちょっとだけ
謎が解けたような気がする・・・
最近、「疲れたぁ、疲れたぁ・・・」って
ふっと口からついて出ちゃう自分がいて、
どうしてかな?
けっこう
楽しいことばかりしているはずなのに
わたし無意識にまだ
自分を疲れさせることしちゃってるのかなぁって・・・
でも、そうじゃなかったんだ。
「疲れたぁ」って
それだけ自分を出し切ったよって
カラダは言っていただけなんだ。
ちゃんと「消耗したよ」って♪
だから
「疲れたぁ、疲れたぁ」って言い出したら
「そうかぁ、よかったねぇ♪
自分の中のもの
すっからかんになるほど出せたんだね」って
喜んであげればいいんだなぁって・・・
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・
・
こうやって
わたしは確実に枯れていっている
死に近づいているんだなぁ・・・
そして
わたしの中にある動力を出し切って
倒れることができたなら
それはむしろ
喜ばしいことなんだろうなぁ・・・
それは思いっきり「どや顔」で
次の世に行って
ご褒美いっぱいもらっていいくらいに・・・♪
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