横浜駅地下街にある、昼はピザのファストフード、夜はピルスナービールも出す・・・今でいうbar(バール)のような一風変わったファストフード店が、わたしの人生初のバイト先でした。
大学1年になり、周りが家庭教師など割のいいバイトについていく中で、勉強には興味なかったわたしは、何のバイトをしようかと さすらっていたのですが・・
ふと、学校帰りに通り過ぎようとしたお店のレジに立つお姉さんたちに引き付けられたのです。行列になっているお客さんひとりひとりを包み込むような笑顔で接客しているお姉さんたち。・・・それは、お客さんの位置からちょっと上がったステージで、自分にあてられた役柄を活き活きと演じる、演者のようにも見えて・・・
美しい・・・と思いました。楽しそうだな・・・と思いました。そこにだけスポットライトがあてられたように、わたしには彼女たちが輝いて見えたんです・・・。
キッチンの扉には、バイト募集の張り紙があります。時給:580円スタート。・・・30年前でももっと高いスタート時給がいくらでもある中で、ふつうは入って行かない世界の扉でしたが・・・。わたしには、時給よりもなによりも仕事内容・・・あの舞台に立ちたい!という気持ちが勝っていて、すぐ面接を受けに行きました。
大学の授業の関係で、週3、18:00~22:00の4hがわたしの定番シフトになりました。「休憩なしに4時間」週3という仕事のリズムが今でもいちばん集中でき、心地いいのは、この時の名残かもしれませんね。
あまりに楽しくって、サークルのノリでしたよね。仲間を創ったり、恋をしたり・・・夏は海、冬はスキーと、バイト仲間で旅行に行ったり・・・青春そのもの。バイトの中にその時のすべてが入っていたと思うんです。
自分の能力のなさに直面・・・やってみてはじめて『事務能力ゼロ』に気づく
学生時代、自分を自由に試せる時代に、いろんな企業に潜入したり、いろんな働き方にチャレンジすることって、実はとても大切なことだったんじゃないかと今では思っています。
週3のピザのバイトだけでは稼げないので、日雇いの高給バイトもいろいろしました。大学3年の時、アメリカに2か月半ステイに行くと決めたときは、お金を貯めるために4つのバイトを掛け持ちしたり・・・
でもね、お金を稼ぐためにやるバイトは精神的につらかったです。楽しくない。いい勉強だったと思うし、入ったら精一杯やるけれど、替えがきく仕事って・・・ちっとも満たされなかった。どんなに割のいいバイトでも「お金のため」には、わたしは働けないんだなぁと・・・その時代に悟りました。
ピザのファストフードのバイトは、たしかに稼げなかったけれど・・・それ以外のすべてがそこにありました。高校生からフリーターさん、主婦の方までスタッフの層は多岐にわたり、キッチンのスタッフも「あ、今日は○○さんだ。じゃ、混んでもきっと大丈夫だろうな」とか、信頼関係があって、掛け合いやチームワークでの仕事がほんと楽しかったんですよね。
表と裏との掛け合い、コミュニケーションをよくとっていましたね。そして、わたしね、裏(キッチン)で働く男の子たちの姿を、かっこいいなぁと思っていたんです。結構 力仕事なんですよ、そして、くそ熱い。オーブンの前で汗だくになりながら仕事している彼らに、ほれぼれしていました。
そして、いっぱい助けてもらいました。オーダーを間違えたりしても「ごめんなさい!ペパロニ×2キャンセルで、BQ×4入ります!」「わかった!なんとかする」って対応してくれるキッチンスタッフの男気に、なんども救われて・・・
たのしかったなぁ・・・。チームで働くって、お互いがお互いの仕事を尊敬していて、まさにラグビーのよう。その持ち場持ち場で全力を尽くす、そしてお客さんのニーズやその場の流れに即応していく・・・
来店されるお客さんもそのエネルギーに巻き込まれるのでしょう。わたしが入っていた時間帯はいつも混んでいました。今でも、道を歩いていて閑古鳥が鳴いているお店に入ると、不思議と人がつられて入ってくる現象がありますが、きっとわたし自身が、にぎやかに人が満ちている状況が好きだからなんじゃないかな。人が回ってることが嬉しいのです。
どんな場にいても自然に人が集まるのは学生時代からずっとです。唯一、人が回らない時というのは、決まって自分のカラダが疲れているとき。無意識に休みたいなと思っているときですね(お客さんが入ってくるのを無意識に拒否っているのでしょう)。
社員さんもやさしくって、現場を回すのはわたしたちバイトに任されていました。バイトだけど、忙しい時間帯をお客様をいかに待たせずに、商品を提供できるか、心地いい環境を与えられるか、それに備える準備として、サラダバーの仕込み、今のうちにゴミ出ししておこうとか、その場を回すために頭はくるくる回転したし、きびきび動ける自分がいたんですよ。
でもね!・・・同じバイトに3年もいると、もう大ベテランですよね。自然に社員の仕事を手伝う立場に立たされることになります。シフトを組んだり、材料を発注したり、事務所の管理をしたり・・・どうしても社員さんの代わりのような準社員的な立場になっちゃうんですけど、そこでわたしは自分の能力のなさにはじめて直面するのですよ。
前任者の先輩が就活の合間に3時間で片づけていた事務所仕事が、6時間かけてもできない!「何、わたし、ポンコツじゃん!」って。そう、『事務仕事』がからっきしできないのですよ・・・これは大発見でしたね。この自分のできなさ加減を知らずして就活なんてしたら、自分はそれなりにできると思ってますからね、入社してもすぐ落ちこぼれていたでしょう。大学3年の段階で、自分の苦手分野を把握できたことは、ほんとうに幸運なことだったと思います。
その頃は時給はとうに1,000円を超えていましたから、事務所でちんたらデスクワークで6時間なんて、はたから見たら割のいいバイトですよ。でも、わたしは現場でカラダを動かしていた方が断然ラク・・・。「店、人が足りていません!」なんて要請が入ったら、「わたしが出るね♪」って、うほうほお店に出てましたから・・・そう、根っからの現場好きなのです。
天性とは・・・その状況に追い込まれたり、人から見いだされてはじめて自分で気づけるモノ。
大学2年の夏「横浜博覧会」が今のみなとみらい地区で開催されていました。浜博の中で働くなんて面白そう!と思ったわたしは、ある出展企業のファストフード店に入り、キャッシャー(レジ・接客)を受け持ったのですが、お昼時になると各パビリオンから人が溢れ、飲食のために桁違いの行列ができる世界で・・・それはもう戦場でした。
2~3時間一息も付けず、一瞬たりともお客さんが途切れない・・・一人で何百人も応対をする世界。暑いところ何時間も待たされて殺気立っているお客さんに対して、オーダーの入れ間違え、おつりの返し間違えなど時間のロスになることは一切許されません。まず、お待ちいただいたことをお詫びして、笑顔で心をほぐし、どんなに急いでいてもおひとりおひとりていねいに正確に応対する。商品を受け取って列から離れるときには 気持ちよく笑顔になってお帰りいただく・・・そのことに全力を尽くしました。
不思議なことに集中力が切れないのです。夕方になりやっと人の流れが途絶えると、各部門のリーダーや店長から「よく頑張った」とねぎらいのコールが入り、ハッと我に返るのですが、自分でもすごいと思いましたよ。よくも何時間もミスもせず穏やかな笑顔のままで気力が途切れないものだと・・・ゾーンに入るって、きっとこういうことをいうんでしょうね。2~3時間連続でしゃべり続けるということも、生まれて初めての経験でした。
キャッシャーは5列くらいあったと思います。わたしは夏から入ったのでオープンスタッフじゃなかったのですが、加わって間もない頃からその中のセンター、看板となる場所に立つように言われることが多く、わたしはこのことを通じて、自分の能力がここにあることに気づくのです。
混乱した状況の中でも、落ち着いて応対できる自分(生きるか死ぬかのサバイバル状態で冷静でいられる自分)に初めて逢うことができたのです。たくさんのスタッフを観てきた店長から「○○(旧姓)のキャッシャーは安定感がある」とその道のプロの人に言われたことも、「自分は何が得意なんだろう?」と分からなかった当時、すごく自信になりました。自分の能力の高さがどこにあるのか、どこが社会に貢献できるのか、そういう状況になってみないと分からないことってあると思いますし、人に見いだされないと分からないことって、実はたくさんあるのだと思うのです。
就活は最初から営業狙いで行きましたよ。体力と接客には自信がもてましたから。というより、人と会う仕事しかないなと自分を見切りました。どの企業にとか、ジャンルとかは関係なく、仕事内容にフォーカスして就活できました。じゃないと糞の役にも立たないということが、この大学4年間のバイト生活で嫌というほどわかったのですから・・・笑
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