【全文公開】5月の預言カフェより・・「娘よ、わたしの地図は小さくないですよ」

こちらは【堀口珈琲】でのシーンです。「今日からです」という言葉にときめいて、メロンパフェを頼みました♪常温のカットメロンのとろっとした自然な甘みが、冷たいアイスとメロンジェラート、クラッシュゼリーと相まって、この世のものとは思えんほど美味し~い。どうしてこんなに軽いんだろう・・・と、いつもいつも驚かされます。コーヒーだけでなく、サンドウィッチのような固形物でさえも、素材が透き通っているというか、負担感なく身体に入っていくのです❤
こちらは【堀口珈琲】でのシーンです。「今日からです」という言葉にときめいて、メロンパフェを頼みました♪常温のカットメロンのとろっとした自然な甘みが、冷たいアイスとメロンジェラート、クラッシュゼリーと相まって、この世のものとは思えんほど美味し~い。どうしてこんなに軽いんだろう・・・と、いつもいつも驚かされます。コーヒーだけでなく、サンドウィッチのような固形物でさえも、素材が透き通っているというか、負担感なく身体に入っていくのです❤

先日もらってきた「預言」、まずは全文公開です。

主は言われます、我が愛する娘よ、わたしはあなたを愛しています。と主は言われます。あの・・ちょっと決め手に欠けるというか、あれもこれもなんとなく良さというかアピールしていることはわかる。だけれども、ほんとうに必要なものってなんだろう?みたいに、娘よ今、よい基準、よい優先順位、わたしの真理の中であなたが自由になっていく、ちゃんと大人になっていく、なんかその認識能力や状況に対して、これが得かこれが損かそのときどきで土台や状況が変わってしまえば、せっかく選んだものもお盆がひっくり返されたみたいに何もなくなっちゃう。そうではなくて娘よ、永遠から永遠へ、決してわたしは変わることのない神であり、わたしは噓をつかないんですよ~と主は言われます。

 

だから、わたしの真実の御手の中で、ほんとうに必要なものが何であるのか、ほんとうに何かその・・優先するというか大切にしていくものが何なのか、あなたがその識別力ですね、何かその認識能力を新たにして癒されて、回復し立ち上がり、娘よあなたは雄々しい、あなたは力強い愛の娘。わたしがその愛をあなたに注ぎ、その価値観、何かその・・う~ん、これまでの歩みの中で何か人に言われてこうしなきゃいけないのかなぁって、いつの間にかに押し付けられてしまったような、何かその想いでなく、わたしの真実がどんなに力強いものであるのか、そして、ほんとうに生きたかった、ほんとうに自分自身がこんな生き方を、こんな風に喜びを何かその噛みしめたかったと思う・・その人生をその時間をあなたに十分に与えていくと主は言われます。

 

「これで終わりではない」と主は言われます。あなたが自分ではここまでだろう、もうわたしはここでこうなってああなってみたいな・・。「娘よ、わたしの地図は小さくないですよ」と主は言われます。わたしはあなたにしている愛の計画、それはあなたの想像、想いをはるかに超えて、大きなもの豊かなものそしてほんとに恵み深く、慈しみ深い、哀れみ深い、わたしの愛の手の中でほんとうに生きていてよかった、このことをわたしは選んでよかったと、ひとつひとつをあなたが知っていくように、掛け違えられたボタンも一度外して、もう一度ちゃんとはめ直す・・何かそのようにリニューアル、刷新、何か新しい想いを日々あなたの中に付け加えると主は言われます。

 

「娘よ、周りの評価を恐れてはいけない」と主は言われます。こんな風に思われているだろう、あんな風に言われてしまっただろうと。でも娘よ、そのことさえもその悔しさというか悲しさも、ちゃんとわたしは受け取りましたと主は言われます。わたしは愛ですと主は言われます。わたしの愛があなたを創った。だから娘よ、このことがあのことがと、今はチクチクして許すことや手放すことが難しい。でも、わたしがちゃんとあなたを癒していく、その中でいつの間にか平気になったんじゃないけれど、こんなに自分変わった、こんなに自分は落ち着いてよい状況を選べるようになったと、自分の成長をあなたがますます喜んでいけるように、わたしはあなたを包んでいます。抱きしめています。と主は言われます。天のお父さんのこの偉大な愛は決して変わることがない、揺るぐことがないんですよ~と主は言われます。

 

だから、安心してこの”愛のゴンドラ”じゃないけど、何か乗るべきものにちゃんと乗る、そしてそこに何かお家が建っていく、何かそのよい土台の上によい家が建ち、そして様々な状況をあなたが出迎えていく、こっちにおいで、ちゃんと良いものがここにあるよって、あなたが受け取って、何かその蘇った何かその命を、わたしは大きく持ち、あなたと同じように苦しんでいる人、何か悲しんでいる人たちに、何かあなたの愛がほんとにこう喜ばれて、何か受け入れられて、何か祝福の道を造っていくように・・わたしはあなたの人生を用います。と主は言われます。我が愛する娘よ、わたしはあなたと共にあると主は言われます。

 

 

(2021年5月11日、4分14秒、『預言カフェ』高田馬場にて

今回は、メロンパフェに合う「2番のアメリカン」をスタッフの方に提案していただきました。濃いものが飲めない体質のわたしを理解してくださって、それでも飲める範囲でときめく提案をしてくださる【堀口珈琲】さんの姿勢に、感動します!いつもの「3番のアメリカン」よりもさっぱりしていて、それでいてスタッフさんがおっしゃるように、メロンパフェと好相性で、とっても美味しゅうございました。一人一人の体質を理解して、細やかだけど粋な便宜を図ってくれる世界は、なんて美しいんだろう。この世界に住めて、わたしは幸せです。
今回は、メロンパフェに合う「2番のアメリカン」をスタッフの方に提案していただきました。濃いものが飲めない体質のわたしを理解してくださって、それでも飲める範囲でときめく提案をしてくださる【堀口珈琲】さんの姿勢に、感動します!いつもの「3番のアメリカン」よりもさっぱりしていて、それでいてスタッフさんがおっしゃるように、メロンパフェと好相性で、とっても美味しゅうございました。一人一人の体質を理解して、細やかだけど粋な便宜を図ってくれる世界は、なんて美しいんだろう。この世界に住めて、わたしは幸せです。

最初はキョトン。でも、あとからジワるメッセージ

預言ってね、感情がこもっていない単調な言い回しで語られるせいか、わたしの場合、意味がすんなり入ってこないことって多いんです。

 

もちろん、預言をされる人によっては、感情というか抑揚がある言い方をされる方もいらっしゃるんですが、ほとんどの方は3分~4分間、ダダダダ・・・とモールス信号のような言葉の羅列になる感じ。だからなのか、その音を耳にするだけでは、あまり状況が思い浮かばないというか・・・

 

だからこそ、文字に起こしてそれを自分の頭の声で読み起こしてみる作業が入ると、理解が進みます。文字にして見ることで、そこではじめて状況が思い浮かんで来たり、自分の声で読んでみることで、ああ、こういうことを言っているのかもしれないと、あとからじんわり解ってきたりするのです。

 

以前、姉がひとりで「預言」を受け取りに行った際、文句たらたらで電話がかかってきたことがありました。

 

「聞いてよ、のんちゃん。今回男の人が預言してくれたんだけど、この人ほんとうにわかってるの?っていうくらい大したことのない内容で・・・。もう、がっかりだよ。はずれの人っているのかな?」ってね。

 

「お姉ちゃん、その人たぶんオーナーである、吉田牧師のダンナさんで、この方こそ本物の牧師さんだよ。わたしもよくこの方から「預言」を降ろしてもらうけれど、誰よりもいちばん硬い言葉を使わずやわらかな言葉で分かりやすく表現してくださる、素敵な牧師さん。わたしはあの方の言い回し、たまらなく好きだけどなぁ。」って・・・

 

それを聞いて「え、そうなの~?」って、驚いていた姉ですけど・・・姉のように「自分がもらった預言を大したことのない内容」ととらえて、勝手にひとりでがっかりしちゃってる人って案外いるんじゃないかなって。

 

最初聞いたとき「なんのことを言っているんだろう・・・自分には関係ないや」って、簡単にポイしたり、全然当たってないやって思ったり・・・でもね、そう思うのは、それがこれからのことを言っている内容だからなんじゃないかなって思うの。

 

身に覚えがないということは=これから起こることだから。まだ知る由もないことなので「当たっていない」と、その時は感じちゃうんじゃないかな・・・。(もしもこれまで自分がやってきたことに対する「承認」のような内容だったら、すごい!当たってる!何で知ってるんだろう?って驚きながら聞くんだと思うんですけどね・・・)

 

そういうわたしもね、今でも・・・、「なんか今日は、ピンとこないというか、感動的な内容じゃなかったなぁ」って、がっかり気分で耳を傾けていることって・・・あります(笑)(まさに今回の預言も、最初そうでした。あとでお話しますね)

 

でもね、そういうのに限ってあとで書き出してみたり、何度も反芻したり、そして時間がたってみるとね、「この内容すごい!すごく深いことが語られていたんだなぁ」って気づくことが多いんです!

 

だからその時はナニコレ?って思えても、「え、こんな風になるのかなぁ」って楽しみにされていたらいいと思います。それが叶うのは、2年後かも、5年後かもしれないけど・・・、ここで預言されたことは、ほんとうにそのようにじわじわなっていきますので、安心して待っていらしたらいいと思いますよ・・・♪

 

(ちょうど今回の預言の中で、「わたしは嘘をつかない」という言葉が出てきていたこともあって、ちょっとその辺に触れてみました・・・)

 

・・・今回の預言の内容も、どこか響く部分がありましたら、「ご自分事」として積極的に受け取っていただけたらって思います。どうぞ、自由にお使いくださいね・・・

 

先週から、また家具を移動させました♪ ベッドをリビングの、それも窓際に置いてみましたよ。これは初めての配置です!でも、遮光カーテンじゃないから光が入ってきて、すぐ目が覚めてしまう・・・。睡眠の質が落ちるなら、またすぐ移動させることになるかもしれませんが、しばらくこの配置を楽しんでみようと思います。
先週から、また家具を移動させました♪ ベッドをリビングの、それも窓際に置いてみましたよ。これは初めての配置です!でも、遮光カーテンじゃないから光が入ってきて、すぐ目が覚めてしまう・・・。睡眠の質が落ちるなら、またすぐ移動させることになるかもしれませんが、しばらくこの配置を楽しんでみようと思います。

【預言の考察】未来だけでなく、過去の自分を照らすメッセージ。

今回の預言もね、最初聞いたときは謎多きメッセージに感じました。「ん?なんのこと?だれのこと?」って思いましたもん・・・特に↓

 

「娘よ、周りの評価を恐れてはいけないと主は言われます。こんな風に思われているだろう、あんな風に言われてしまっただろうと。でも娘よ、そのことさえもその悔しさというか悲しさも、ちゃんとわたしは受け取りました」・・・というくだりです。

 

今回、聞きながら気になったのは、その部分が「過去形」で語られていたこと。これからわたしが受けるであろう評価のことではなく、既に下された「評価」のことに言及していることに引っかかったんです。

 

「言われてしまった」って?。そしてそのことに対して「悔しさ、悲しさ」を強く感じた出来事なんて・・・わたし、過去にあったんだろか・・・

 

最初、周りを見渡しても直ぐには見当たらなかったので、ついね、「わたしのことじゃないかも」って、思っちゃいましたよ・・・(笑)

 

でも、・・・・ずっとずっと前・・・そういえば、そんな出来事が本当にあったかもって・・・。

 

そして、そのときの「評価」に対して、そのときのわたしはどこか「不服」に思っていたというか・・・でもその違和感を口にできない「悔しさ」をぐっと飲み込んだまま、わたしの中にずっと沈んでいたんだなって・・・。このことなんだろうか・・・

 

録音を聴き返しながらの高田馬場からの帰り道、浮き上がってきた垢のような薄~い記憶を、すっと掬えたような瞬間でした。

 

 

今のわたしなら、その時の自分を弁護してあげられる

あれは・・・高校2年のころ、担任の先生から言われた「時間を守れない奴は信用できない。だから、社会人にはなれない」という言葉です。

 

えぐられましたね・・・

なぜか、すごくショックだったのを・・・覚えています。

 

きっと・・・

 

その先生のこと、尊敬していたし・・・。キツイけど、いい先生だなぁと思っていただけに、その信頼している人からそう断言されてしまうと・・・「そうなのかぁ」って。

 

小学生の頃から遅刻癖の直らないわたしは、信用ならない人間なんだなぁ。”人として一番大事なもの” を持っていない自分はきっと社会人として失格で、社会では愛されない奴なんだ・・・と、自分の進む未来にがっくり肩を落としてしまったのかもしれません。

 

その言葉をそのまま鵜呑みにしてしまったんですね・・・きっと。そのときの若いわたしには、社会で生きる大きな人である先生に対し、言い返すことはできませんでした。

 

でもね、今なら「わたし」を弁護してあげることができるかなって、思います。

 

「時間を守れない奴も、社会人となることができます。時間を守らなくてもじゅうぶん貢献できる職場を選べばいいんですから。」って。

 

先生に対しても、マイノリティーの人を代弁して 冷静に説明してあげられると思うんです・・・

 

「人にはいろいろな生態があってね、朝、どうしても起きられないという人が中にはいるんです。それはサボっているわけでも、やる気がないからでもなく、多くの人が自然にできる「朝早く起きて出かける」という行為に何倍もの労力を必要とする人たちがいる、っていうこと。それだけなんです」と・・・。

 

 

長い間、自分の体質を知らなかったために・・・

わたしの場合で、たとえ話をするとすれば・・・

 

学生時代だけでなく、社会人になっても遅刻が絶えなくて、朝の会議にも間に合わないわたしに対して、ある日、上司から「お前、もしかして低血圧なのか?」と尋ねられたことがあったんですね。

 

その時点では自分の体質のことを理解していなかったので、「ちがいます」と答えてしまったのですが、そう聞かれるまで自分の血圧が低いかどうかなんてこと、考えたこともないわたしだったんじゃないかな。

 

会社で行われる健康診断の中でも、高血圧だったら問題視されますが、低血圧は病気ではないから特に取りざたされないようです。だから、これまで幾度も血圧は測ってきているはずなのに、医者から一度も指摘されたことがなかった・・・。なかなか自分ひとりでは気づきにくいところだったのでしょう。

 

 

唯一、言われたとすれば・・・「低い」ではないけれど・・・

 

成人記念として大学に献血車が来た際、はじめて「献血」してみたんですが、「あなたは血が薄いので、せっかく献血してくれたのだけど、使えません」って、残念そうに言われたことがありましたっけ・・・(そのときも「そうかぁ、わたしの血は使えないのかぁ」って、妙にがっかり。みんなが普通にできることができない自分に、やれやれ・・・と感じながら、ジョアだけもらって献血車から降りた苦い思い出があります・・・笑)

 

こうして、献血には向いていない体質だということは20歳の時に知ることができたので、それ以降は献血をするなんて行為は無理してするもんじゃないなと、きっぱりとあきらめられましたけど・・・(笑)血圧が低いことを自分で認識できたのは、もっとずっとあとになってから・・・なんと40後半になってからのことなんです。

 

温泉施設に血圧計があってね、朝、試しに計ってみたら・・・「ん?・・・わたし、通常範囲からずれてる?」って、そのときやっと意識できたんです。数値と表で自分の体質を可視化することができた機会だったんだと思います。

 

今でも、上の血圧が100を超えることはありません。これは病気ではないけれども、わたしの体質として、どうしようもないこと。でも、ここを理解してあげれていないと、社会では苦戦しますよね。わたしのような体質の人が、「8時始業の会社」や「8時に席に着いていなければならない学校」に通うのは、どだい無理というか、かなり難しいことだったのです。

 

もっと早い段階で「あなたは、大多数の人達に比べて、薄い・低いという質を持っていますね」ということに、気づいてあげれたらよかったな・・・。

 

わたしは、自分の体質を知らなかったために、40年もの長い間、ずっと苦い思いをしてきたようです。自分が欠落している分野で周りと同じことをしようとしても・・・何倍も努力して、普通の人のレベルにもならない、そんな自分にいつもがっかりして、ひとりでため息をついて・・・。それは、わたしの体の質がただその行為をするのに適していなかっただけで・・・対策の立て方がそもそも間違っていたのです。もっと早く自分への誤解を解いて、その自分を擁護してあげれたらよかったのにね・・・。

 

・・・だからね♪

 

今のような「自分で活動時間を決められるような仕事」は、とても向いています。家族からも「朝、起きれない母」としてすでに認知されているので、ぐうたら主婦の活動にも向いています(笑)。

 

寝たいだけ寝て、自然に目が覚めたら・・・のっそり活動しはじめる!・・・今のわたしは、自分の自然な生態にフィットした仕事・活動の仕方をしているので、こんなにもカラダが楽なのでしょう。余計なことに力を漏らさないので、自分のやりたいことにストレートに力を注げますしね。・・・今はただ、自分のペースで生きれることを「しあわせだなぁ」って・・・しみじみしています。

 

 

このお話も、ヒューマンデザインとの関連も含めて、もっと詳しくお話したいところなのですが、今回の預言の考察から、びろびろ~んと話が広がり過ぎちゃいましたね。すごく長くなりました!

 

(ここまでお読みいただき、ほんとうにありがとうございます♪関連記事は、またの機会に・・・)