人生は、駅伝のように自分の走る範囲というものがあって、その区間を一生懸命走った後は、ちゃんと次にバトンを渡すことができるから・・と言われているような気がして、とても温かい気持ちになった今回の預言でした。
特に最後の「受け取ったように与えることができる」というフレーズ。
わたしにやさしく笑顔でバトンを渡してくれた先輩たちや、沿道で声援を送ってくれた人々のあったかいシーンが次々に思い出されて・・・あぁ、もしもわたしが受け取ったように、あたたかくやさしく次の世代に渡すことができるのなら・・そんな素敵なことはないなぁと。
厳しくではなく、わたしが受け取ってきたように「やさしく」。硬くではなく、わたしがしてもらってきたように「やわらかく」・・・人に、ここに、与えてあげられる未来があるのなら、こんなに嬉しいことはないのです。
ここで一息ついたら、またわたしらしく、もっと肩の力を抜いて朗らかに走っていこう・・・と、気持ちがふわっと立ち上がる素敵な日になりました♪
以下、いただいてきた預言全文です。
今回はたまたま集会のため吉田万代牧師がいらしていて、その直後がわたしの番だったからか、吉田万代さんから預言を降ろして頂きました。
2分20秒という、これまでで最短の預言。そして「ひらがな」のようなわかりやすく、やさしい預言です。やはり本物の方ほど、難しい言葉を使わず、幼い子にもわかるような言葉を使われるのだなぁと。
久しぶりの『預言カフェ』オーナー
吉田万代さんからの預言です♪
どうぞ、お楽しみください・・・↓↓↓
主が言われます、我が愛する娘よ。私はあなたを愛していると主が言われます。
強くたくましい者。あなたが何度もこう、倒れそうなよろけそうなときも自分を奮い立たせ 一歩一歩歩んできたこと・・それはほんとうに素晴らしい。ただあなたが、それで苦しんだようにもなんか頑張って疲れたようにも感じるでしょうが、それで大いに鍛えられたのですと主が言われます。
もし、「こんなわたし、度量というか力量ないから もう無理!」と言って諦めたらそこまでだったけど、諦めきれずに何か捨てきれずに 一生懸命あなたがこう自分の積み重ねてきたこと、そのことが あなたの今の土台にとっては次のステップとなったのですと主が言われます。ですから 期待しなさい、と主が言われます。
なんにもしてこなかったのではなく、してきたのです。その自分の心の中には、なんか「ちゃんとできていない」とか「やってこなかった」という風に自分を厳しく責めたいかもしれない。しかし、それは真実ではないと主が言われます。一生懸命やってきた・・そのことが真実であり、よい準備ができたのです。
人生はもうこれで終わりなのではなくて、ここから転換というか・・始まる、ここから成果が現れてくるときです。なんかこう畑にですね、ちっちゃな芽が出て ようやくやっと芽が出たなぁと思ったところで、「こんなちっちゃいんじゃダメだ」って言って捨ててしまっては、ほんとに大間違い。その小さいことを喜びなさいと主が言われます。そしてそれがやがて、あなたの想像をはるかに超えた大きな実りとなり、ただあなたのためだけでなく、次の世代のためになるのですと主が言われます。
自分の世代というか自分の命?というか自分の時代というのかな、この「自分の範囲」といったところで その先が無いように思ってはいけないと主が言われます。次がちゃんとあるのです。繋がっている。受け取ったように与えることができると主が言われます。
【2022年4月25日『預言カフェ 高田馬場』吉田万代牧師よりいただいた預言、2分20秒】
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